終わんない! このシリーズ長いよ! だいたい1作ごとに文面が長くなってるじゃないか! と執筆者がかなりへばってきている本シリーズ。いままでは1回につき2作行けてましたが今回1作のみです。次回ドミニオン+七不思議で締めるかドミニオンと七不思議で二回に分けるかは今のところ未定。なんでどんどん長くなってきているかというと、最初に挙げた9作で必要なことを全部書かないといけないレギュレーションなので、書いた後で「あのこと書くの忘れてた」が発生すると後のほうの回で盛り込まないといけないからです。今回はケイラスなんですが「それモダンアートのところで書くべき話だよね?」という話題が混じってます。ではどうぞ。
ケイラス | 2005 ケイラスが一つの象徴であるというのは大方のゲームファンの共通認識になっていることと思います。ただ、ケイラスが象徴するものというのは結構いっぱいあるので、文字に起こして確認しておかないと1つくらい漏れが出てきてそれに気づかないということも普通にあるでしょう。ということで、そのあたりを書き起こしながら見て行きましょう。 まず第一に挙げられるべきは、ドイツ以外の国のゲームとしては1991-92年シーズン以来、「ドイツ以外の国の出版社が自国のデザイナーを起用して出したゲーム」としては初めての、Deutscher Spiele Preis(ドイツゲーム賞)受賞作であるということです。「ドイツ以外」といってもJumboやPiatnik、あるいは91-92のParker/Bandaiみたいな大メーカー(いま鼻で笑ったのは誰ですか?)ではない、間違いなくインディーズといっていいYstariというメーカーの受賞だということがポイントです。単に「ドイツかそうでないか」ということではなく、市場のルールが変わったことが明確に告げられた瞬間と言えるでしょう。カタンに始まる全欧米的熱狂(特にアメリカが大きく、ということはMayfair GamesとRio Grande Gamesの仕事が如何に大きかったかという事でもあります)とエルグランデによるゲーマーズゲーム概念の(再)誕生、そしてそれを機会としたLudoFact/PacktやHeidelbergerに代表される小規模流通網の整備、さらにこれは別にボードゲームに限った話ではないインターネットの普及、そういうような諸要因により、「ドイツボードゲーム=ドイツの玩具屋で販売されている、児童玩具性とエグめのゲーム的ジレンマを混ぜ込んだゲーム」であるという前提が崩れていきました。他の市場に住む我々としてはむしろ何で90年代までそんな玩具屋市場が残っていたのか任天堂やセガは何をしていたのか、という疑問は当然あるのですが、それはそれとして。鶏と卵のどちらが先か、システムと外部環境のどちらが先かはともかく現にかつてと違うものとなった以上もう二度と同じものにはならない、ケイラスはその象徴となっています。 さて中身のほうに移りますと、それはまあケイラスですからワーカープレースメントのことを云々しなければいけません(生ける伝説的インディメーカーSplotter Spellenの"Bus"(1999)のことは脇に置いておきましょう)。少なくともケイラスからワーカープレースメントが「始まった」のは間違いありません。単純にドイツゲーム的な観点で言うなら、ワーカープレースメントとは先ずは90年代のオークション全盛に対する「早乗り系」の王政復古であると言ってよいでしょう。いや早乗り系って別の言葉で言えばダッチオークションの多面指しだろ、とか、そもそもドイツゲーってそのレベルまで分解しちゃうとノーマル/ブラインド/ダッチ各種オークションと囚人のジレンマとチキンレースの5つしか構成要素無いよね。という身も蓋もない事実(これはクニーツィアが明らかにした事実と言ってよいと思います)の中でその流行の移動になんか意味あるのかってことではあるのですが、この流行の移動はマルチゲーム構造から2人ゲーム構造への大きな移行期(前回のプエルトリコ参照)だからこそ発生した現象なので、その意味で取り上げる価値があります。剥き出しのマルチ性がきっぱりと忌避されるという事態は前述の5要素で構成されるドイツゲームの開発において手足を縛られるに等しい制限なわけで、その中で何かやれることをとなると、割りきってパーティ/ギャンブル的な方向に行くのでなくあくまでストラテジーのゲームということにこだわるなら、隠蔽されたダッチオークションとしての早乗りシステムを進歩させるしか道はありません。ワーカープレースメントを簡単に言えば、通常の早乗り(典型的には「チケット・トゥ・ライド(2004)」など)と違ってダッチオークションの対象が抽象的な能力と言うか機能になったもの、ということになります。抽象化したんで直感性は失われます(従ってファミリーストラテジーは作りづらくなります)が、その代わりデザインの自由度が手に入ります。 では、その上がった自由度で実際には何をやったか。ここで出てくるのが04-05シーズンのドイツゲーム賞受賞作「ルイ十四世」です。ルイ十四世自体は正直別にすっごく良くできたゲームってわけじゃないんですが、あの資源が取れますとかそのカードが取れますとかこれをあれに変換しますとか、他のゲームなら1手番でそれくらいやらせてくれよ的な小規模な機能を大量に用意してそのそれぞれの権利を取り合う、そういうスタイルを世に広めたゲームとして触れておく必要はあるでしょう。仮にこのスタイルのゲームを「矢印ゲー」と呼びます(前提条件と結果が矢印と一緒にアイコンで書かれてるからです。よくありますよね、資源A→資源B、みたいの)。この矢印ゲーがワーカープレースメントと非常に相性がよかった。つまりワーカープレースメントは抽象的な機能を「早乗り」が成立するほどいっぱい用意して初めて成り立つゲームなので。で、ケイラスの出来がとにかく良かったこともあって、ワーカープレースメントと共にこの矢印ゲーのスタイルも認知され、ワーカープレースメントとは「別に」矢印ゲーはひとつの方法として定着し、ワーカープレースメントと共に有象無象のフォロワーを大量に生み出すことになったのでした。矢印ゲーはワーカープレースメントと違ってドイツ的というよりはポストドイツ的な手法なので、寿命が来るのもワーカープレースメントよりずっと先になるんじゃないかと思います。そうなったとき、みんなルイ十四世のことなんか覚えてないでしょうから、ケイラスには「矢印ゲーの嚆矢」という役割が割り振られることになるんじゃないかと予想しています。素直に告白しますと実はわたくし自身がこれ書くときまで忘れてて、あやうく「矢印ゲーの起源はケイラス」とか素で言っちゃうところだったのです。
by Taiju_SAWADA
| 2011-11-13 00:46
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